介護と看取りと後悔と・・・私

シェア・エッセイ創始者、星野桜です^^

※シェア・エッセイとはどういうもの?と思われる方は、こちらをご覧ください。

 

2017年6月30日夜、つい先ほどの体験を書きます。

 

家族が命の危機に面した時、あるいはそれに近い状況になった時、私の中に、たくさんの後悔の念が湧き上がってきました。

 

ああすればよかった
こんなこと言わなければよかった
謝っておけばよかった

 

後悔先に立たず

 

そんな後悔は残さないほうがいいです。

 

そのためには、今をどう生きるのか。
どのように関係を築き、修正していったらいいのか。

 

私が両親を介護しているときに、常に心の中にあったのは、両親に長生きしてもらいたいという思いはさることながら、「私の中に、悔いが残らないようにすること」でした。

 

だから、謝ること、感謝すること、してあげたいこと、聴いておきたいことなど、思いつく限りに実行しました。

 

それでも、両親が亡くなった時は、山のような後悔が残りました。
その後悔は、底なし沼のように深く、際限がありませんでした。

 

やれなかった後悔、手抜きをしてしまった後悔、もっとできたはずなのにと思う後悔、忍耐が足りなかったと思う後悔、もっと優しくしてあげればよかったという後悔・・・書ききれないほどの後悔が残りました。

 

友人知人、周りの人、看護師仲間からは、

 

「よくそこまでしてあげられるね。

本当に感心する。私にはできない。」

 

と言われるほど、色々していたようなのですが、それでも、後悔が山のように残り、根深い自責の念、罪悪感が残ってしまったのです。

 

後悔の残らないような介護・看取りということ自体、実現ができないことなのかもしれないと思いました。

 

多少の後悔は、誰にでも残るもの・・・

 

そう思うことで、少しは救われる部分が出てくる気もしますが、その時の私には、そんなことすら思うことができませんでした。

 

 

 

父が亡くなった時は、後に残る母の介護があったので、悲しみ続ける時間よりも行動が必要でしたから、どこかで紛らわせることができていたように思います。

 

それでも、やはり、一人になる瞬間は涙がとめどなく出て・・。
そんな状態がずっと続きました。

 

さらに3ヶ月後に、父の後を追うように母が亡くなった時には、子供に目をやって、生きて、紛らわせることはできず、悲しみの沼地に入り込んで、抜け出せなくなりました。

 

私にしたら、一度に両親を亡くしたようなものなのです。
自分の子供はいましたが、天涯孤独になった気分でした。

 

いかに両親が生きてくれているだけで、私の支えになってくれていたのかを痛感するほど、私は支えをなくして崩れていきました。

 

うつになり、動けなくなったのです。

 

仕事のあと家に帰り着いても、運転中にずっと泣いていたままの状態が止められず、しばらく車の中で一人で声を出して泣いていました。

 

そうやって、子供の前で泣かないようにしていたのですが、心が切り替えられずに、そのままずっと車の中にいて、亡き両親に呼びかけ、謝り続けて、涙が止まりませんでした。

 

30歳の頃、私は、自分のがん体験から、「死ぬ1日前でもいいから、”生きていてよかった”と思える生き方をしよう」「後悔しないように生きよう」と思って生きてきました。

 

それでも、完璧に、後悔を残さないような生き方をするのは難しいのだとわかってきました。

 

と・・・今、上記に書いた文章に出てきた自分、完璧主義な私がいるとことに気づきました!

 

完璧主義であったら、後悔がない生き方に到達するのは難しいでしょうね。

 

このシェア・エッセイを書いたおかげで、そのことに改めて、今気づきました。

 

先日から、私の中にある罪悪感と向き合ってきたのですが、なぜ私は罪悪感を持ってしまうのかと思っていたんです。

 

その答えを見つけた気がします。

 

私の中に罪悪感を生んでしまいやすいのは、「完璧主義」ゆえの部分が色濃いかもしれません。

 

罪悪感は、愛とは対極のもの。
それを手放したいと思っていて、その方法や答えを探していました。

 

ある部分は見えてきていたのですが、このシェア・エッセイを書いたおかげで、私の中にある完璧主義があるが故に、罪悪感を持ちやすいのだと、今気づきました。

 

そうですね。

人は、自分で自分を許す必要があるんです。

だけど、私はそれができていませんでした。

 

だから、ずっと、介護の時にできなかった部分があった自分を責め続けてきたんです。

 

私に、それらの傾向があることは知っていましたが、「許す」ことまで至れていませんでした。

ここにきて、そのことにも改めて気づけました。

 

完璧主義の人は、自分にも厳しいため、許しのためのラインがとても高すぎて、結局なかなか許せず、さらに自分を苦しめたり、罪の意識や、できない自分を批判し、責め、自己評価を下げてしまうんです。

 

その分、高いところを目指そうとするので、自分磨きはしていけますが、楽な生き方とは言えません。

 

下手すると、自分で自分をどんどん追い込んでしまい、浮上すら難しくなるでしょう。

自分を罰しようとしてしまったり・・・、病的に傾く危険性すらあります。

 

今回、このシェア・エッセイが猛烈に書きたくなったのは、TVドラマのワンシーンに刺激され、内側にあった過去の体験、亡き両親に関する体験がフィードバックされたからなのです。

 

おかげで、たくさんの深い部分の自分を観るチャンスとなり、大切な気づきを得ることができました。

 

今すぐ始めること・・・。
それは、私自身が、私自身を許すことなのですね。

 

これまでの私は、両親の死に対する責任を感じすぎ、完璧主義が故にそんな自分を許せず、ますます自分で自分の首をしめてしまって、苦しんできたんですね。

 

だから、今するべきことは、
後悔でもなく、罪悪感を持ち続けることでもなく、
頑張った自分を認め、許すことなんですね。
きっと、それが、自分を愛することに繋がるんですね。

 

私は、今から、それを始めていこうと思います。

 

そしたらきっと、もっと楽に生きれるようになって、自分のことも今以上に愛せるようになって、自分だけでなく家族や周りに人にも、もっと優しくなれる気がします。

 

シェア・エッセイ創始者 星野桜
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