人生を方向変換させた、息子の愛とクォンタム・モーメント体験
シェア・エッセイ創始者 星野桜です^^
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私はシングルマザーとして、二人の子供を連れて実家に戻りました。
そして、2002年、一人で子育て・仕事・両親の介護が始まりました。
私が体力的に限界になりそうになった2003年11月、2004年2月。
3ヶ月足らずの間に、両親が相次いで亡くなりました。
涙が止まらない日々が続いていましたが、子供がいたので、なんとか生きる気力を保っている感じでした。
その直後、水中運動を指導する看護をしている最中に、意識を失いかけたことがあり、心療内科を受診。
うつと診断されました。
4年間、同じ病院で内服治療を続けましたが、どんどん薬を増やされる一方だったので転院。
2007年、新しい病院では、いきなり薬をどんどん変えられて、うつが躁転し、双極性障害(まだ診断は受けていなかった)になってしまいました。
完全な医療ミスです。
医療ミスであるにもかかわらず、障害のある患者を人間として扱わない古い精神病院の慣習や、診察拒否を平然と行う心無い医師の体制に不信感を抱き、転院。
2008年、3つ目の心療内科で、奇跡とも思えるドクターと出会うことができました。
そのドクターは、なんと双極性障害の第一人者から学ばれた方だったのです。
なかなか診断が難しい精神疾患なのに、受診したその日に、薬を変えすぎたことによる躁転であることと、双極性障害であるとの診断を受けました。
ラッキーなことに、私と同じ「薬を使いたくない」という考え方のドクターで、しかも、完治しないといわれている双極性障害なのに、「完治する」と思っておられるドクターだったのです。
その出会いはミラクルとしか言いようがありません。
そこから内服治療とカウンセリングが始まりましたが、双極性障害になってから4、5回自殺しかけたことがありました。
うつの時には一度も経験したことがなかったので、自分でも怖くなりました。
その最後の自殺願望が現れたのは受診した帰りのことで、ファーストフードのお店の駐車場に車を停めていた時でした。
私は、なんとか自殺を止めてもらいたくて、別れの挨拶として、障害者就職支援センターの所長さんと、息子に電話をしました。
幸い時間帯が夕方であったことで、仕事から戻った息子と話すことができたのです。
まだ21歳だった息子ですが、優しい子で私と話をしてくれました。
そして、自殺願望のきっかけとなったことの解決策となる一言を言ってくれ、さらに
「お願いだから、生きていて欲しい!」
と言ってくれたのです。
私は、息子の言葉を聴いて、急に「生きる!」希望が湧きました!
息子の言葉がありがたくて、涙が止まらなくなりました。
同時に「生きる!」と決意し覚悟した私がいました!
こんな気持ちは、がんになった時すら経験しなかったことです。
と、次の瞬間、私の内側でとても不思議なことが起きました。
私の内側にあるもう一つの頭部が、ギリギリと音を立て時計回りに回り始めたのがわかったのです!!!
何が起きているのかわかりませんでしたが、内側にある頭部が回転し、ある所に来たとき、カチッと音がして止まったのがわかりました。
そして、「本来あるべき場所に修正された」という感覚がありました。
わかりやすく表現すると、プロレスラーのマスクを後ろ前を逆に被っていたので、目が見えるようにするために、マスクをぐるっと回して正しい位置に戻した。
もっと言い換えると、目が塞がっていたのが、本来の場所に戻したことによって、見えるようになったのです。
私には、
「ああ、これは生き方の軌道修正が行われたのだ!」
「それは、私が生きる!と決意し、覚悟したからだ。」
とわかりました。
この不思議な体験は、2011年2月のことでしたが、ここから、さらなるミラクルが次々に起こり始めたのです。
2週間後、私は看護師としての就職活動をして、倍率の高かった職場にみごと採用が決定しました。
その職場では、毎日陰湿ないじめにあいましたが、息子の言葉と、自分の中の「生きる」という決意と覚悟、そしてカウンセラーさんや障害者就職支援センターの所長さんのサポートを受けて、欠勤することなく勤務を続けることができました。
障害者就職支援センターの所長さんからは、その職場での仕事が
「桜さんにマッチングしている。天職ですよ!」
と言われるほどでした。
また、日々いじめにあっているにもかかわらず、症状はどんどん回復し、内服薬もあっという間に減量され、2012年11月には飲み忘れるほどになったのです。
ドクターからは「良くなった印。服薬をやめる時期が来たのですね。」と言っていただき、内服治療が完了しました。
さらにその4ヶ月後には、定期受診も忘れるほどになり、「通院も必要ないですね。完治されました。」と言っていただけたのです。
完治できない病と言われているのに、奇跡的な回復とそのスピードに、ドクターもカウンセラーさんも驚いておられました。
一番症状の重かった時期に出会った障害者就職支援センターの所長さんには、
「別人に見える!
人の可能性の凄さ、生命力の強さを改めて知って驚いている!」
と言われるほど、元の私を取り戻せたのです。
クォンタム・モーメント体験から約2年後に完治。
2013年春のことでした。
2003年、2004年と両親を一度に亡くしうつになり、2008年医療ミスから、地獄のように苦しい絶望の淵に立っていました。
社会的にも見下され見捨てられ、迫害された辛い時期でした。
「夢があるから死んでる場合ではない!」という思いから、再発がんも自然治癒させた私。
「私には叶えきれないほどたくさんの夢があって、そのおかげで生きているんだ!」
「私に夢は欠かせない」
「夢は私の原動力」
という気づきがあったにもかかわらず、うつになってからは、肝心な夢が全く浮かんでこなくなったのです。
まさに夢も希望もない状態になりました。
他にも、子供の頃から好きだった「色」も輝きを感じることができなくなり、色を楽しむことすらできない状態でした。
大好きな本を読むこともできなくなりました。
文章を読んでも理解できなかったからです。
それらの状態が10年間も続いたのです。
私にとって10年間が暗闇の中にありました。
そんな状態から脱出させてくれたのが、ソウルメイトである息子の愛と、自分の生きる!という決意と覚悟でした。
私は奇跡的な回復に至ることができたのです。
この回復のきっかけとなった不思議な体験がなんであったのか、当時は全く知らなかったのですが、2013年にたまたまた購入した人生初のスピリチュアルなDVD「ザ・シフト」の中に答えがありました。
この故ウエイン・ダイアー博士のDVDには、人生のクォンタム・モーメント体験によって、目覚めが始まるというようなことが描かれていたのです。
クォンタム・モーメントとは、飛躍的瞬間とも言われる人生の転換期のことで、ミラクルな体験や神秘体験などによって、人生が一変するというものです。
私はこれを知って、自分の体験がまさしくクォンタム・モーメント体験であったのだと認識できました。
そして、現在の私にシフトしたのだと思っています。
こんな風に、人生のいろいろを乗り越えて来た私の生き方のコツ。
それを網羅したものを余すとこなく、お伝えしているのが【わたしを読む講座】です。
7月上旬開講予定です。個人セッションは現在も受け付けています。7月開講日までの間に受講していただく方は、全員1期生になっていただけます。是非ご検討ください。お申し込み、お待ちしています。
シェア・エッセイ創始者 星野桜
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星野 桜
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