めっちゃ沢山のやり直しと「自育」①
シェア・エッセイ創始者 星野桜です^^
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私は、この人生でのやり直し・・・めっちゃ沢山やってきました!
やり直しを実践してきたことに関しては、自負してます^ ^
時に、自分でも、気がおかしいんじゃないか、そこまで自分を突き詰めて観る必要があるのかって思うほど、とことん自分を見つめてきた時期があるほどなんです。
ほんまに、見つめすぎて、自分に穴が空いてしまうのではないかと思うほどでした(⌒-⌒; )
25年間、そんなことを静かに、自分の内側でやりつつ、現実面でも自分を変えるべく、行動ややり直しをしてきました。
そんな私が、自信をなくし落ち込むたびに使ってきた言葉は・・・
「やり直すのに遅いということはない」
「いくつになってもやり直しはできる」
「何度でも、やり直せばいい」
そんなところに戻りつつ、自分を成長させたくて、変わりたくて、認められたくてやってきた時期があります。
今の私から観ても、
えらく頑張ってきたなぁ。
やり過ぎほどやってきた時期があるなぁ。
めっちゃその頃の自分を受け入れられなかったんやなぁ。
ずっと認められたかったやなぁ。
そう思えるのですが、でも、その時期があったからこそ、今の私があるんです。
すべてが今の私につながり、役立っていることは、はっきりとわかっています。
では、今の私のどの部分に役立っているのか?
ということで一つあげてみると・・・
自然に、自動的に、内観俯瞰していて、同時に気づきから一気に深い智慧につながれるようになったことです。
そんなことができるようになったのも、あの時期の私がいたからに他なりません。
25年前、30歳の頃の私は、すっごく自己評価の低かったのことを覚えています。
小さい頃、いつも母に、容姿が悪いこと、行動が遅いこと、考える力がないこと、わがままなことなど、けなされてばかりいました。
私のいい所にはフォーカスしてもらえませんでした。
今の私だったら、行動が遅いことは =「落ち着きのある、冷静に行動できる人」って羨ましく思えるほどなのですが、母の目には違うように映ってたんですね。
一人っ子特有のゆっくりした行動だったのに、いつも急き立てられていたため、次第に、何に対しても「早くしないといけない(叱られる、見放されるという恐れ)」と焦って、慌てて行動する、落ち着きのない子になってしまいました。
今の私からすると、そのまんまのわたしの、素敵な素質が消されてしまって、もったいなかったなぁと思ってしまいます。
私は、その頃のまんまの、ゆっくりと行動できる自分でいたかったです。
なんだか、とても大切なものを失った気がします。
この頃は高度成長期だったこともあり、スピードが優秀の証のような時代でしたから、無理もないのかもしれませんが、とても残念なことでした。
というように、私は、「ありのままの私ではいけないよ」というメッセージを、常に突きつけられてきました。
そんな感じで、誰もが一つや二つは経験していそうな、親の子育て場面での残念な体験をしてきました。
この子供時代を過ごした私は、その後どうなっていったのでしょうか・・・。
長くなりましたので、この続きは後ほどアップします。
是非、読みにきてくださいね。
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